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命日にて(2018年)



今日は妻の命日。


亡くなったのは平成19年(2007年)ですので、丸11年の年月が過ぎました。

折しもこの年はJULEPSの「旅立つ日」が話題になっていた時期…今では聞けるようになりましたが、当時は聞きたくないと耳を塞いでいた覚えがありますョ。

「旅立つ日」←YouTubeより

「バトンタッチ」(旅立つ日の続編)


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職場でパート職員として採用されてきて、初めて出会った時の彼女は、3人の幼子を抱えるシングルマザー…。

おじさん、おばさんしかいなかった職場に、2歳年下のきれいな女性が配置されたということで、仕事に行くのがとても楽しみに…シングルマザーという複雑な事情があるとはいえ、二人の気持ちが接近するのに時間はかかりませんでした。

が、しかし、初婚の私がいきなり3人の子の父親になるということには私の家族はもちろん、職場や友人など周囲は結婚に大反対。(彼女のお母さんと妹さんは応援してくれましたが…)

私自身も彼女のことは好きだけれども、いきなり3人の父親になれるのか不安しかなく、なかなか結婚に踏み切れず時間だけがただ過ぎていくのみ…。


そんな中途半端な状態が1年ほど続いたある日、彼女の身体に異変が…。

朝から暗い表情でいた彼女にどうかした?と声をかけると…胸にしこりがあるのに気付いたの…と。

乳がんかもしれないと心配する彼女に、ただただ根拠のない励ましの言葉をかけるくらいしかできませんでした。

そして、数日後の深夜、彼女から電話が…。
「検査を受けたけど、やっぱり乳がんだったの。あなたにこれ以上迷惑をかけられないのでお別れしましょう。」と…。

それを聞いた私は、ボストンバックに着替えを詰め込み、気がついたら彼女の家のドアを叩き、俺が君を守るから、結婚してくださいとプロポーズ…。

いつもは優柔不断でなかなか思い切った行動ができない自分が、なにかに突き動かされるような衝動にかられて行動を起こしていました。


祝福されない、式も挙げられない、新婚旅行もないの無い無い尽くしの結婚でしたが…彼女は文句の一つも言わず、私と一緒になってくれました。


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取り急ぎ入籍しただけで始まった結婚生活でしたが、すぐに待ったなしのガン治療がスタート。

病巣切除のための入院手術、抗がん剤治療などが続き、激しい嘔吐や脱毛など、とてもではありませんが見ていられない…。代われるものなら代わらせてくださいと…神様に祈りましたョ。


薬が効き、仕事に復帰できた期間もありましたが、闘病生活は10年に及び、その間3度の転移再発を乗り越えるも4度めの転移再発が分かった時には、すでに使える薬がなく、半年ももたずに天に召されていくことに…。


結婚前には、いつかはこういうことになってしまうかもしれないと…覚悟していたつもりでしたが、いざ先立たれてしまうと、ただただ悲嘆し、うろたえるばかりで…全然覚悟などできていませんでした…。


彼女を守るどころか、自分が励まされ、勇気を与えられ、支えられていたことに、彼女の死後に改めて気付かされたのでした。


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入退院を繰り返す期間の多い、決して幸せとは言えない夫婦生活でしたが「子供が一人で生きていけることができるようになるまでは私は死ねないの」と、彼女は辛い治療に耐えていまして…我が妻ながら、本当に凄い、本当に尊敬できる女性でした。



妻は生前、私に…自分が先に死んだら遠慮なく再婚してほしい、あなたの人生はあなたのものだから…と言っていました。

子供を社会に送り出すという約束は果たせたものの、再婚してほしいという願いは…果たせそうにはありません。

たくさんケンカもしたはずなのに、元気で笑って、幸せだったところしか思い出さないんですから…再婚などできるはずがないですけどね。


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何よりもお風呂に入ることが好きだった妻…。病気が治ったら、行けなかった新婚旅行のかわりに日本中の温泉巡りに連れて行ってねと言っていたので、子どもたちの独立を機に仕事を辞め、彼女を連れていきたかった場所、入らせてあげたかった温泉地を巡る旅へ…。

彼女の写真を持ち、いろいろな所を訪れましたが…一人で行く旅行に楽しさなどは全くなく、話し相手もおらず、ただただ、もう妻のもとに行きたいと思うだけの旅…。

今思うと、無意識のうちに死に場所を探す旅になっていたのだと思います。



そんな不毛な生活を1年ほど続けていた2015年9月、茨城県常総市で鬼怒川が氾濫する大規模水害が発生。

茨城県は祖父母宅があり、年に一度帰省することをとても楽しみにしていた思い出の地。

報道の中継映像を目の当たりにし、居ても立っても居られず、初めての災害ボランティアへ…。


何の知識もなく、ただがれきや土砂を片付けることくらいしかできなかった私たちボランティアに、依頼者さんが涙を流しながら「ありがとう、ありがとう」と何度も何度も言ってくれる姿が忘れられず、こんな自分でもまだ人様の為になれることがあったと、以来、時間を見つけてはボランティアに行くことが生きがいになったのでした。


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今日、命日のお墓参りに行く道すがら、花を買おうとフラッと入った花屋で、たくさん並べられている切り花の中から、妻が好きだった切り花を数種類選び「一対の花束にできますか?」と聞いたところ「大丈夫ですよ、贈り物ですか?」と…。

「ええ、妻へ。」と答えますと「とてもいい色合いの組み合わせで、男の人が選んだものとは思えませんね。奥さんも喜びますよ。」と…。

セールストークだろうなとは思いましたが、なぜか人の良さそうな店主の顔に惹かれ…「妻の命日なので、彼女が好きだった種類を選んだんですよ。」と答えますと、店主はハッとした顔をして「そうですか…お若かったでしょうに。お任せください、きれいにお造りしますから。」と…。

しばらくしますと、大きな花束をもった店主が出てきまして、その花束を見ると…あれ?こんなにお花多かったですか?というくらいの立派な花束が2つ…。

店主が「奥様のために精一杯サービスさせてもらいました。奥様もきっと見ていると思いますよ。」と言いながら、涙ぐんでくれました。

IMG_0850.jpg



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来年は十三回忌…。

先立たれた時には、想像すらできなかった時間が経過しましたが、妻の思いを叶えてあげたことができたのかどうか…。

願わくば、むこうの世界で再会したときに…ひとこと「よく頑張ったね」と言ってくれれば嬉しいんですけどね。



パートナーを失うというのは…言葉では表現できないくらいの辛い出来事でした。

11年経った今でも思い出さない日は無く、テレビなどでつれあいを亡くすなどで泣いているシーンがあると、妻のことがフラッシュバックして、もらい泣き…。もう涙腺がぶっ壊れてしまっているのだと思います。


パートナーが御健在の皆様…どうか、かけがいのない相手を大切にされ、いつまでも幸せな関係を続けていただけますようにと願っております。

私達夫婦ができなかった、夫婦共白髪になるまでいつまでもいつまでも幸せな夫婦生活を送れますようにと…祈っております。


私もまた来年、このブログを更新することができますよう健康に気をつけ、ボランティア生活を続けていきたいと思います。


それではまた来年お逢いしましょう!。



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コメントを見る(4)

今でも忘れません‥早いものですね。 by えりまま
今でも、忘れません。
パパさんが電車の中で泣かれたことも
この曲も。。
ママさんは、きっとほめてくれますよ。大丈夫!
えりままさんへ by macpapa
ありがとうございます。

あのころのことを思い返すと、いまでもツーンときてしまいます…。

v-409
 by ダブルセブン
二人でいられるだけで、幸せだという事を改めて身にしみて感じました。
最初にmachacaさんのブログを見て、連れ添いのどちらかは必ず
いつかは居なくなるという覚悟を感じました。
今二人で仲良く過ごせるのは、machacaさんのブログのお陰かもしれません。

自分を犠牲にしても人の幸せを大切にするあなたです。
是非、自分の幸せを、一番に考えて人生を過ごして下さい。
私たち夫婦のブログを見てくれてありがとうございます。
ダブルセブンさんへ by macpapa
コメントありがとうございます。

あっという間と言っていいのか、ようやくと言うべきか…とにかく何とか11年が過ぎたという感じです。

二人で日本中を旅することを目標にしていましたが、残念ながら果たせずに一人旅立たせてしまいました。

ダブルセブンさんとは、自分たちの夢を叶えてくれている…ということで、ご縁が結ばれたのだと思います。

今現在の現状が、妻の願いの通りだったのかは…分かりませんが、何の心配もない世界に昇っていってくれているのかまでは自信がありません。

これからも、仲の良いご夫婦旅を続けていってくださいませ。

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プロフィール

まっくママ

Author:まっくママ
3児の母、40歳丙午の生まれ。32歳で乳ガンを発症して4年後に肺へ転移・再発したけど現在完治へ向けて治療中。治療に欠かせないのは主治医の力と神様の力、家族の愛、そして私の精神力!

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